2005年11月の日記

EVE祭
一日オフだったので、昼から同志社大学の学祭「EVE祭」を観に行く。目的は「学生プロレス」とThe Third Herd Orch.をみにいくことだ。

さっそく訂正になるが、下の「たまに記」でEVE祭を「新島襄の命日」がらみとほざいたが、それは嘘八百で、正しくは「同志社大学創立記念行事週間」ということらしい。学校が生まれた「EVE」なわけだ。ごめんなさい。指摘してくれたN坂、ありがとう。LAの空は、やっぱりハリウッド映画みたいな色なのかい?

プロレスの開始まで教室をライブハウスにしている軽音の部屋を覗き、久々に第一試合から学生プロレスを堪能。徹底した下ネタのリングネームもさることながら、それを凛とコールする就職スーツを纏った「稲中・田中」似のリングアナの女の子も凄かった。腹がよじれるほど笑う。メインの「京都統一ヘビー級選手権」の途中でフルバンの時間になったので、泣く泣く移動。

The Third Herd Orch.(ざ・さーど・はーど・おーけすとら)とは同志社大学軽音楽部に所属するビッグ・バンド(通称フルバン)の名称である。幾多の学生が、この歴史に様々な体液を流し込んできた。かくいう僕も、そのうちの一人、ということになる。今年は久しぶりに夏の全国コンテストでも5位に入賞、という話を聞いていたのだけど、その名にたがわず、とてもいい演奏だった。メンバーのみんな、お疲れ様。あと少しがんばってください。

最終日だったので、時間的に少し早めに終わる。11月末の夕暮れもあいまって、僕は昔からこの祭りの終わりが、とてもさみしい。散々空回り、ごまかし続けた何年前かの自分が思い出され、切なくなる。でも、もう過ぎ去ったこと。なにもできないのだ。この季節が来るたびに、ほろ苦い気持ちを持ち続けていくのだろう。
(2005.11.28)

EVE
今回一挙にたくさん文章を書き散らかすことになったので、ページの上から順番に読みやすいように、と一応考慮してみました。

26日の日記→25日の日記→・・・と言う具合に読んでくださいね。とはいうものの、文章・文体は読みやすさとは程遠い、いつもどおりのお粗末具合ですので、ごめんなさい。



この「たまに記」を書こうと日付を見ると、なんと今日から同志社の学祭なのであった。同志社の創始者(洒落ではない。)新島襄の命日にちなんで「EVE祭」と銘打たれた学祭は、数ある京都の大学のなかでもっとも遅くに行われるもので、命日がらみということで平日・祝・週末をとわず決まった日(たしか11月の26・27・28日)に行われるものである。

僕は長い間同志社大学の軽音楽部に籍をおいていたので、EVE祭というと思い出も多く、感慨もひとしおなのだが、それを書き出すだけでまた別の長尺がしあがってしまう。ひたすら寒い(文字通り「気温が」である。状況は、その当時の僕にとってはなかなかホットなものであった。)野外ステージでの演奏や、下級生時代の吐きそうなくらいしんどかった準備とか、教室に泊り込んでスパイダーマンを出現させたりとか、思い出はつきない。


街は同時にクリスマスの飾り付けを始めている。ここ数年目に付くのは店舗等でない普通の家の外壁などにも飾りつけが目立つようになったことだ。京都の狭く奥まった民家の壁面に突如出現するイルミネーション(ただしやや弱)、これはこれでなかなかいいものだ。今日アンにスクールコンサートのリハをみにいったのだが、事務のムラカミさんが一生懸命植木に飾り付けを施していた。


先日の「堅実君。」ライブでもクリスマスソングを解禁したように、最近では町全体、「プレ・クリスマス」とでも言うべき助走時間が長い。これをどうこういうつもりなのではなく、「うわ、11月にあった数々のおもろかったことを『たまに記』にかかないと、あっというまにタイミング失ったまま年末やんかいな!」というアセリが芽生えたのである。

よし、今日は土曜日なのに21時過ぎに家に帰れて、おまけに切迫した締め切りもない。明日のNBPのリハのための予習ももうさほど時間をさかなくてもよい感じだ。テレビはつけへんぞぉ。コーヒーを沸かした。タバコも脇にある。思い出すための11月の予定表も脇においた。
ちなみにささぽんのスペイン土産の美味しいコーヒーとも今日でおさらばである。飲みつくしたのだ。この後には「黒猫ブレンド」が準備されているので、それはそれで安心なのだが、なんともはや美味しいコーヒーであった。名残惜しい。

なぜかやはりヨーロッパのコーヒーは美味い。別に豆に凝って明治屋だのの外国の豆が置いてあるところにわざわざ買出しにいくほどの凝り性でもなく、どちらかというと「コーヒー道」的には新参者もいいところなのだろうけど、味覚に対して能動的になってからコーヒーを飲みだした(というか単にスペイン料理でバイトして、コーヒーメーカーを買った、というきっかけだけだったのだけど)自分としては、たった一度の渡欧の際に生活の場にあったコーヒーの味があまりにうまく、それは自分にとって衝撃的だったため、「ヨーロッパのコーヒー」=「美味い」という図式ができあがっちゃってるのだ。

いや、衝撃はその前に、あった。いま思い出した。

まだ僕が河原町丸太町のマンションに住んでいる頃、そのとき既にティオぺぺ(スペイン料理店)でバイトは始めていて、で、シェフがスペインに里帰りした際に、お土産としてコーヒー粉とチョコレートの詰め合わせをくれたのだ。そのころよくある無類の新聞好きとして喫茶店には通いつめていたが家でコーヒーを淹れる習慣のなかった僕@かつ甘い物好き、はチョコレートは二三日でむしゃむしゃと食べてしまったのだが、コーヒー粉はそのままほっといておいたのだ。で、ここの管理人であるきもちゃんぬが部屋にやってきたとき、彼が言ったのだ。「コーヒーを淹れよう。」と。

それ、おいしかった。びっくりした。初めて飲むような気持ちになった。なんという香りと、飲むときに鼻の奥をくすぐる味。ああ、あれだ。僕のコーヒー第二次原体験。

いや、ちがうぞ。コーヒーの話を夢中になって書いてる場合じゃない。11月におこった数々の乱痴気騒ぎのことを書かなければ。

もちろん気ままに書こうと決めてはいるのだけど、本当に支離滅裂に話が向かってしまう。詰めが甘いのが僕の弱いとこなのだが、もう、書き出したところで満足してしまって、すぐ次に「めんどくさい」が群れを成して襲ってくる。きょうは少し俵を後ろ目に設定するぞ、と。

俵といえば、昨日の朝青龍vs琴欧州はいい相撲だったですなぁ。
モンゴルとブルガリアの素朴な努力人がある競技(道)を極めて力をぶつけあう。もちろんこれが日本人でも感動の質はかわらないのだけど、朝青龍の人懐っこい笑顔とわんぱくっぷりや、琴欧州の困った表情や祖国のお母さんの顔とか、僕はミーハーで単純なので、ジブリ物を観ている様な気持ちにさせられます。

今日、結局朝青龍の優勝が決まり、琴欧州もほぼ大関の地位は間違い無しの勝ち星を挙げたのだけど、琴欧州にぶん投げられた千代大海の勝負後とてもいい顔をしていたし、引退する琴ノ若もいい顔してたし、相撲人気は若貴時代より落ち目だと言われて、実際九州場所は満員御礼の札も少なくなったらしいけど、全然魅力的じゃん。

そういえば一度書いておきたかったんだけど(いや、昔、TTPの日記に書いたかな)みなさん、「吉野家」の豚丼、おいしいですよ。好みは分かれるでしょうがごぼうを上手に使っている点で、僕は「なか卯」の豚丼より「吉野家」の豚丼の方が、全然好きです。

プロレスは試合はすべて筋書きが決まっているそうですが、「三沢vs天龍」の試合は、そんなことどうだっていい、すばらしいものでした。

人気があれば場が活性化し、活性化すればお金がまわり、お金がまわればまた資本投資ができて場が活性化し、活性化すれば人気が出、というのが市場原理の当たり前なことなのですが、プロモーションも含め、難しいですね、こういうことって。いいものがそれなりに評価を受けるというのは当たり前の様でいて、「いいもの」であることを決めるものは、実は非常にふらふらとしているように思えます。

おい、これこれ、なーにをわかったようなことを俺は書いておんねや。だから11月の
(2005.11.26)

26日の日記からの続きです。
ネットは即時性、タイムリーなものだ。アップしたことがすぐに万人のまえにさらけだされる。と同時に、以前このページに「こまったちゃん」の来訪が頻繁になった時期にも述べたけれども、プライバシーという非常にデリケートなものを扱う慎重さも要求される。面白いからといって、リハに遅れて急いで車で向かった挙句にトラック相手にカマ掘って車を全損したり、職場のソフトボール大会で三塁ゴロを打って全力で一塁に走り出したとたんに右大たい骨をぶち折るという競馬なら即予後不良な人の話を面白おかしく取り上げるわけにはいかない。友人Sが雪の北陸自動車道でトリプルアクセルをキめた話などは1年近くたって、しかも本人に怪我などがなかったから笑い話になるのだが、カマ掘ったやつは無事だけども、大たい骨ぶち折りは本当にかわいそうで、本人は必死にリハビリの毎日である。俺、および周辺は、その話を鳥の骨付きもも肉で例えることは今現在タブーとなっている。

というわけでできるだけ当たり障りなく11月にあった、もしくは起こった出来事を列記していくことにしよう。

11月6日にエバーラスティングジョイの東京公演に参加した。
前日はリハで、直美ちゃんが陣中見舞いに来てくれた。ロンドンのお土産ももらった。直美ちゃんは渡欧中に数日キューバにもいったそうで、そのお土産のチビマラカスが大変かわいく、ベースケースのジッパーに即つけた。
6日は朝8時過ぎの新幹線に乗ったのだが、過去自分の遅刻癖に悩まされ続け、「朝〜時集合」という言葉を呪いのように受け取ってしまう僕にとって、ささぽんがピックアップしていってくれたことは本当に救いであった。ちなみに車はその日の朝京都に帰ってきたささおか嫁にバトンタッチされて去って行った。なんちゅう夫婦や。
車内最後部にはむらむらのMotiefがモノリスのように聳え立っている。フラッシュバックかと思った。二度目、かつ朝一での移動ということで昨年ほどの修学旅行色がないなぁと思ったら、なんのことはない、OくちゃんとSっきーが遅刻した、とのこと。しじまっちはSっきーの言い訳が年々子供地味てきている、と心配していた。

その足で会場入りしてリハして本番やってとても楽しい気持ちと素敵なお客様たちとともに燃え尽きて打ちあがって感謝して崩れ寝てホテルのあまりに暑い暖房に汗ダクダクで目覚めて都庁脇でコーヒー飲んで叙々苑で肉食らって皆と別れて銀座で迷って新幹線乗って帰ってきた。

とても楽しかった。そしてくたびれた。どのくらいくたびれたかというと、その次の日のアンの授業を無意識でこなし、その次の日の朱恵仁くんのミスターケリーズでの演奏のために大阪にむかったら、車内の網棚にベースを乗せたまま忘れてしまうくらいくたびれたのである。いやはや、人生でこれほど自分と相棒の「距離」が離れたことはなかった。結局車内で発見されて無事だったのだが当然姫路まで取りに行かねばならず、サウンドチェックをすっぽかす羽目になった。ひなびた姫路駅の駅員詰め所でぶらさがるエメラルドグリーンのチビマラカスを見たときには涙が出そうになった。むかしMらMらが二日酔いで譜面を車内に忘れ、網干まで取りに行ったことを散々ネタにして笑ったが、もう人のことは言えない。あらためて朱君、栗田君、清水君、スタッフのみんな、ごめんね。

皆様、12月19日(月)は是非キャンディにお越しくださいませ。(広告)

そして母が上洛したりNBPの第一回のリハがあったり、ここには書けないような様々の事象に直面して笑ったり疲弊したりしたのち、16日にファニーカンパニーの10周年記念パーティが京都ホテルオークラで行われた。エバラスのみんなをブックした立場でもあったので、なにかと演奏以外にも消耗していたらしく、終わったあとふにゃふにゃになる。桑名正博さんがご子息と、ピアノの小島良喜さんと来てはって、貫禄のステージ。そしてやはりここではとても書けない打ち上げでの反則技。それにしても、サウンドチェックのときに、さっと会場に入ってきてピアノの前に座るや否やの、小島さんのあのピアノに吸い付くような、というか、ピアノが小島さんに吸い付くような空気感が凄かった。鳥肌がたった。

でこの週から火曜日にあまりにタイトに埋まっていたアンの授業を火・木に分散していただいていたので木にも授業があり、晩、というか深夜、急遽決まった朱君の録音のリハに出向き、金のファニカン・アイアイ、土曜のリハを経て〜20日ゴス塾@ボニーラと相成るわけである。そら・ベレーザ・アップワーズ・ウィルシーズの皆様、お世話になりました。お疲れ様でした。打ち上げがそのままボニーラである、という夢のような状況であったにもかかわらず、ゴリさんに迎えに来ていただいて泣く泣く三宮へ。

おそらくオフィシャルな告知があるまでは伏せておいた方がいいと思うのだけど、あるネット上の企業の広告の音楽を録音しに三宮のスタジオへ。やっぱり僕はまだまだベースが下手です。でもとても勉強になりました。プロデューサーの吉田さんやディレクターの高瀬さんは晩の新幹線で東京から神戸入りして、朝一で東京に戻ってそのまま仕事、という超絶スケジュール。吉田さんはスタジオの向かいのホテルにチェックインしてすぐスタジオ入りし、そしてそのまま朝を迎えてホテルにチェックアウトしに行かはりました。でも、ほんとにまっすぐ仕事に取り組んだら、それも当たり前のことになるのかも。頭が下がりました。吉田さんの胆石が、心配です。

で、やっと一息ついて(月曜朝4時ごろ、まだミックスに皆がひーっとなっている状況下で、僕はこっそりワンカップを飲んだ。)23日はファニカンで深尾多恵子ちゃんとのセット。前も書いたけど、深尾さんは同志社軽音の後輩にあたるのだけど、現在NY在住で、デイワークもしながら週1〜2本のギグをこなしている。本場のブルーノートにも出演歴があり、12月にもまたやるそうだ。今回は彼女と行動をともにしているダク・リチャードソン(Dr.Pf)氏も同行していて、とても充実したセットになった。ダグさんとも意気投合。演奏後「マザーファッカー」と言われて抱きしめられた。

そして24日(木)は「堅実君。」でした。杉山+笹岡+長谷川の久々の、そして三人だけでやるのは初めてのライブ、皆様どうだったでしょうか?大変楽しく演奏させていただくことができました。

なわけである。ふぅ。
(2005.11.25)

一応上からの続きです。
駆け足で11月を振り返ってみたが、「忙しい忙しい」とおおげさに言ってるわりにはなんのことはない。本当に日々忙しく暮らしている僕の友人・知人に比べれば、禁治産者のバンドマン三角形の底辺、何ということはないのだ。ミュージシャンを肩書きにつけ末席を汚させていただいている以上、曲を書くとかそういう文字通り創造的な行為でなくとも、例えば「ベースを演奏する」という一点においても、やっぱりクリエイティブ(創造的行為を言い換えてるだけだが)でなければならない。ならないよ、俺よ、わかってんのか?おい。じゃ、「おいはクリエイティブですたい。」って放言しながらいくのかよ。ちがうって、そうじゃなくてやったことの評価は周りが勝手に判断してくれるんだけど、まず姿勢として、準備をおこたったりしちゃぁいねーかい?ばたばたしたあげくのエクスキューズを泣き言みたくピーピー言うのが見苦しいんだぜ。……

ま、とりあえず、前に進むしか道は無し、なわけである。朽ち果てるまで前傾姿勢で、というわけだ。


11月の間に、本当に寒くなった。僕は10年前と同じコートを着ている。
(2005.11.24)

さてなにから書けばいいのやら。
とりあえずあさ7時13分の新快速で三宮から帰って来ました。
で、ホントにひさびさに一日朽ち果てて寝ちぎり。

EJ東京行に始まったこの11月、とても充実していたので少しでも「たまに記」にあげてかなきゃならないのだけど、全く何から書いていいやら。でも昨晩ご一緒させていただいたプロデューサーの吉田さんなんてほんとに凄いスケジュールで動いてはるのとか見ると、ほんとに頭が下がる。自分ごときは動けるうちが華なんだ。ちょっとずつ書いていこっと。
(2005.11.21)

なにかと変えてみる。
そうだ、なんか「たまに記」に書くことあったな、と思ったのだが、思い出した。携帯の機種変更をしたのだ。普通機種変なんて当たり前のことらしいが、なんとはせがわ、ひとつの機種を平均3年は使ってしまう男、これは一大事なのである。

僕はボーダホンなのだが、料金システムをJフォン時代からずっと同じもので来ていた。で、11月1日から始まる新たなサービスに対応できるようにしようという理由で、久しぶりにボーダホンショップに寄ったのだが、昔からある、基本使用料が3ヶ月まるっとタダになるサービスが僕の場合12月から始まるので、それを消化してからでも遅くはなかろうという結論に至って料金プランに手はつけなかったのだが、なんかもう何か変えようという気持ちだけは持ち上がってしまっていたので、機種だけ変えたれ!となったのだ。

新しい携帯は、機能多すぎて正直わけがわからん。しかし、テレビ付のやつで、充電池の目減りも早いらしいのだが、すでに先代の携帯はもう末期状態で、充電器が離せず、半日使えばみるみる電池が減っていたので、そういう点にはもう慣れているし、あれほど折り曲げ式は嫌や、と周りに吹聴していたくせに、選択の余地がないとしるやあっさり折り曲げ式のにしてしまった。

なによりカメラの画素数が多いことに今更驚く。



ついでに、家でもデスクトップの背景を変えてみた。
(2005.11.03)

The blue films@磔々
今日はTBFの先月末に発売になったファースト・アルバム「曲線」のお披露目ライブ。

ちょいいつもよりベースの音デカ目でやってしまいました。ごめんなさい。僕は楽しかったです。

えーと、古川真帆ちゃんと北森正樹くんはとてもがんばってますので、これを読んでて興味がある方はぜひ購入するように。

いつも磔々でやるときは原付で向かうために、飲めないのが悔しく、今回はタクシーで行ってきっちり追い出されるまで飲む。

チェック終わって楽屋に戻ったら、なおちゃんから「ただいま」メールが来ていた。無事に戻ってきたようでなによりなにより。
(2005.11.01)

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