2005年04月の日記

冷蔵庫を買う(後編)
さしあたり
買わない馬券予想を。
天皇賞は、8−15

↑ってのをあげといたんですが、天皇賞は大波乱のスズカマンボ-ビッグゴールド10−17で八万馬券でした。やれやれ。

昨日の続き。

ここ数ヶ月の思いをはらす買い物を半ば終え、惰眠をむさぼっていた俺に電話がかかってくる。

「いけますけど、どうします?」
もちろん異存はない。一応京都の数奇屋建築が専門だが、バス停から家の解体までなんでもする工房に勤めるヒバタ君が家まで迎えに来てくれた。彼のごっついアメ車(車種忘れたが車高の高い、4駆トラックみたいなの)では冷蔵庫は載せられないので、軽トラに乗り換えるためにそのまま京都の西北の山奥(原谷)にある工房へ。

京都は叡電もそうだが、15分〜30分移動しただけであっという間に山の中だ。物凄い角度の道をゆられて、工房の軽トラの置いてある場所へ、「ちょっと気になるんですけど、ユニックが突き刺さってるって聞いてるんですよ。」なんのことかとおもって着いて見ると、トラックにクレーンがついてるもの(これをUNIC〜ユニック〜というらしい。土木及び工事関係者でこれを読んでいる方、間違いないですよね?)が狭い敷地にバックで入っているんだが、それのケツがその後ろに止まっている軽トラのどてっ腹にしっかり「突き刺さって」いた。あまりに「文字通り」だったので二人で爆笑。ユニックを前に出して「引っこ抜き」、軽トラのへっこみを蹴飛ばして、何事もなかったように出発。

連日の円町ニノミヤへの出座となったのであるが、昨日とはうって変わって、店内は閑散としている。人も物も、ほとんどいないし、無い。
冷蔵庫を駐車場まで運び出して軽トラに積んでいると、警備員のおっちゃんに「まだようこんなもん残っとったなぁ。」と言われた。んなわけねーよという旨を苦笑しながら伝えて、店を出る。

コーナンにも寄ってもらって、原付ではなかなか買いに行けないものを載せ、家に帰った。無事、念願の、冷蔵庫再び設置。で、又車を乗り換えてドライブ。どこも車は一杯だったが、天気も良いせいで、非常に快適な休日になったのである。部屋の掃除もできたし。

晩に用事でファニーに寄ったら、友達の芸子さんが都をどりの千秋楽の打ち上げで来てた。お疲れ様。
(2005.04.30)

冷蔵庫を買う(前編)
そう、冷蔵庫を買ったのです。そしてそれで冷えたビールを飲みながら、これを書いてます。

世間は大型連休っつーことで、昨日も今日も、街は物凄い人出である。そんな中、円町(西大路丸太町)のニノミヤが閉店に伴い29日〜3日にセールを行う、と言うジョーホーを前もって掴んでいた俺は、これからどんどん暖かくなるに従い切迫してくる「おれの家レーゾーコないもんねー」問題を解決するには今ココしかない!という悲壮な決意を胸に、人生で初めての「セールに向かう」を敢行したのである。

開店が朝10時であったので、前日の仕事の終了が遅かったこともあり、また早起きに全く自身のない俺は、徹夜した。徹夜したものの、一時間前に店の前に並ぶとか全くごめんだし、セールとはいうものの、案外品物は残ってるもんだろうとタカをくくっていたのだが、折角起きといたんだし、まぁいってみるべぇ、と10時半に店に向かった。ところがところが、着いて見ると物凄い行列。オイルショックのトイレットペーパーパニックや銀行のとりつけ騒ぎ、旧ソ連のスーパーの行列など、どれももちろん俺は知らないのだが、まぁあきれるほど、皆様欲望丸だしである。レジに並ぶ行列も凄かった。

人ごみ(文字通り!)をかき分けて冷蔵庫の立ち並ぶ一角に辿りついて見てみると、自分の希望の予算と大きさに見合うものが、どこの国のブランドとも知れないアヤシゲな名前ではあったのだが、一つだけ残っていた。その上に鞄を置いてふぅ、と一息ついたのだが、さて、どうしたものか。店のスタッフの数が圧倒的に足りておらず、抑えたもののどう手続きしたら良いかさっぱり判らんのである。一人で買い物って、こういうとこが融通効かんのよね。通りかかる奴を捕まえても忙しそうに「担当じゃないので」の一点バリ、最後の奴が、「担当が姿見えないので、レジに並んだ方が早いんじゃないですかねェ。」と言う。

この言葉を信じ、ころの付いた台にのる冷蔵庫を押してレジの行列に並んだおかげで、一時間半を無駄にすることになった。それと言うのも、俺は原付で出向いており、冷蔵庫を今日持って帰ることは出来ないのでいわゆる「取り置き」にしてもらうつもりだったのだが、一時間半並んで、やっと辿りついたレジのねーちゃんにその旨を告げると、「取り置きの方はあちらで」と横のサービスカウンターを指差す。レジへの行列は大げさでなく50メートルを越えたのが4本あったのだが、サービスカウンター前は、ガラガラだったのである。砕けそうになる腰を支えながら金を払って手続きをしていると、横におばちゃんが来て小声で「にーちゃん、ここで預けるって言うたら列並ばんでいいんやんなー。」おばちゃんは電子辞書を夕方まで預けていかはりました。

並んで待ってる最中に昔の教え子で大工の子に連絡がとれ(この「たまに記」をまめに読んでくれる方はお判りであろう。1月11日のたまに記で触れた、「かつて冷蔵庫であったもの」二個を処分してくれた男である。)明日彼の軽トラで家まで運んでくれる算段がついた。で、店を出て、厚かましくもホームセンターでカラーボックスを4個購入。米10Kgも買っちゃった。もちろん「取り置き」で。

意識は朦朧としているのだが天気はよい。うれしくて原付でぶらぶら。
晩御飯に「チーズケーキくってからハンバーグセットを食い、最後にビールを飲む」という恐るべき逆循環を達成して、くちはてて、寝た。
(2005.04.29)

久しぶりにCD買いました。
今日はTBFのライブで磔磔にでたのだけど、リハと本番の合間に用事がてら原付で出かけて、ついでにRAGのそばの中古CD屋さんにより、CDを7枚もオトナ買いしてしまいました。CD屋に行くと入る前に目標にしていたCDがなくても、あ、これ資料として必要やなぁ的意志で、ついつい当たりはずれに関わらず買ってしまいます。まるでまとまったお金がはいったとき、新しい服とか買いたいなぁと思っていながらも、それが溜まった光熱費や銀行で引き落とされるローンの返済にあてられてしまって、なんか儲かった気分がしないぞおい、みたいな感じ。

でも、今回はギル・エバンスのプレイズ・ジミ・ヘンドリックスとバド・アンド・バード(!持ってなかったのだ!)があったので、買いました。古い友達に会った気分。なんでそういう気分になったかは、また後日。いま、仕事終えて朦朧としたあたまで聴きながら書いてます。

電車の事故、大変ですね。洒落ならん。ちょっと電車が怖くなりました。
犠牲者の方の冥福と、ケガした方の回復を、心からお祈りします。
(2005.04.26)

ばいしょー
あらためて活字にすると、こっぱずかしいものがあるが、「ばいしょー」というのは古(いにしえ)のバンドマン用語で、「商売」のひっくり返したカタチである。某軽音時代に、僕らは、もうすでにそのころでも音楽の現場ですらある世代より上でしか通じない古語を、したり顔で使用して悦に入っていたもので、その時の名残で、まだ未だに、こういうギャラを貰ってレストランやパーティで演奏する仕事のことを「バイショー」と呼んでしまうことがあるのだ。

当時、とにかく自分達で好きな音楽のライブをすることでお金なんぞ貰った試しがなかったので、仲間内では、「ライブ」と「バイショー」というのは、「制約はなく下手まきちらしの空き放題だけど、とりあえずお金にはならない。特にフリーインプロヴィゼイションとか」と「お金は貰えるがその代わりTPOに沿った音ををださなければならない。特にフリーインプロヴィゼーションとか絶対だめ」という分け方をされていた。

「バイショー」と言う時、「バ」にアクセントを置くのか、「イ」にアクセントを置くのか、といったギロンにはここでは触れないでおく。どうも地方差のような気がするが。ちなみに「ドンバ用語」に関して、詳しくは山下洋輔氏の著作を参照されたい。なににのってたかなぁ。山下洋輔氏のエッセイには本当に中学、高校と夢中になりました。文庫とかはもうないかもしれませんが、ハードカバーでまとめられているのがあるはずなので、是非おすすめです。

先週は「ばいしょー」ウイークだったのである。ほぼレギュラーで入っているファニカンヤアイアイの他にも、水曜と金曜に梅田のイタリアンレストランで弾き、日曜も名古屋で結婚式の披露宴で弾いた。音楽の内容はほぼ100%ジャズのようなもの。僕はエレキベース専門な上にジャズが下手、畢竟こう言う仕事はどんどん減っていたので、ちょっとこのペースは久しぶりでした。かたまるときにはかたまるもんだなぁ。スーツやらきて、現場で共演者とカンタンに打ち合わせて、時間が来たらのそのそ出ていって、ライブハウスやホール以外の場所での、空気読みながらの演奏。

ちょっと懐かしかった。むかしはこういうBGM的音楽へのスタンスに物足らなかったり、ガマンならん、となった頃もあったのだけど、まぁなんたる生意気なココロ構え!今になってみると意外に楽しめるのである。ましになったのか、ちょっとは嫌なオトナになったのか。でも、やっぱりこれが生活の中心になるのはかなわんかも。古いスタイルのジャズだけがダイスキっ!と言う具合には、やっぱり身体が出来てはいないのである。  どの道できないんですけどね。

5月8日に久々にエバーラスティングジョイが単独ライブをします!
今回、僕の相方はNeyomiちゃん(Miss You So Much!!!)ではなく、アンでも講師をされている、という職場的関係だけで無理から、ドラマーでプロデューサーでもある堀尾哲二さんにお願いしている。土曜にリハがあって、はじめてエバラスのレパートリーを堀尾さんと一緒に演奏したのだけど、改めて、「プロフェッショナル」という言葉の重さを感じる経験となった。堀尾さん、やっぱり、凄い。

で、じゃあ凄いミュージシャンと一緒にやると、すごいライブになるかというと、これはそうとも限らないわけで、リズムセクションで僕が相変わらず甘え捲りのへっぽいベースをかますと、これはバランスやコンビネーションと言う点でトホホなものになってしまう。今度は僕が、上を見据えてしっかりしなきゃいけない番だ。みなさん、ぜひこのトライが上手く行くかどうか、ぜひBIG CATまで確認しにきてください。そして、        ちょっとだけ応援してくだされ。
(2005.04.25)

またしても
ディープインパクト圧巻の勝利。2着にシックスセンスが第六感を駆使して(馬鹿)滑り込んだ。「軸が堅い時はヒモ穴を狙え」(「競馬の初歩の初歩」より)「困った時は四位君と一番人気」(「きもちゃんぬの妹の金言」より)の定説のとおりである。だから前に思い出せっつーの。何を言っても後の祭でドンヒャララである。
(2005.04.18)

買わない馬券
思わぬお褒めの言葉を頂いた当「たまに記」であるが、図に乗るとろくでもないことになるのは百も承知なので、いつものようにかかせていただく。

さっそく言い出した以上続けなきゃ、の「はっせーの買わない馬券予想」である。まず始めに断っておくが、例によって、今日は「実験君。」のライブなので(さりげない告知だ!)馬券を買いに行く予定も先立つものも、ない。

皐月賞、というG1レースである。桜花賞のことを中学女子のレースと書いたが、今度は同い年のオトコノコたちのレースである。過去の皐月賞のことを思い出そうとしたのだが、案外レース自体の記憶がない。ただ、サニーブライアンが観衆のド肝をぬいた大逃げを見せた年の(どんな馬が人気だったかすら覚えていない)、前日の晩のことはよく覚えている。

俺はきもちゃんぬの部屋で、いっぱしに翌日のレースの検討会のようなことをしていた。あれ、ということはレース行ったのかな?そこらへんが定かではないのだけど。ところで話は全然関係ない方へ逸れるが、その当時のきもちゃんぬの部屋は、プレハブのような平屋で、土間を挟んだ向かいには少々気の触れた電車オタクがすんでいた。もちろん昨今話題の「電車男」とは何の関連性もない。こやつはただ単に電車マニアが紙一重を突き破ってあちら側に行っちゃったような奴で、各電鉄の制服を持ってたり、真夜中に、いかにももうこらえきれない、といった感じで呼子を「ピッ」と吹いてしまったりすると言う、おちゃめな基地外らしい。話には聞いていたのだが、残念ながら京阪電鉄車掌姿の彼とは一度も遭遇することはなかった。ちなみに、きもちゃんぬの歴代の京都の下宿にはエピソードが事欠かなく、書き出すとえらいことになる。引越しを手伝ったら既に猫が先に住んでいたり、その猫が枕もとで出産したり、ばらばらだったり(何がかは自粛)、部屋全体がが傾いていたり、減量中のボクサーのように蛇口がハリガネでぐるぐるだったり、汲み取りの底が見えたり(何がどのように、かは自粛)、妖怪「銭撒き」がいたり、俺の貸してやった白シャツが黄色に変色したり、大家のばーさんに勝手に「おタネさん」という名がついていたり・・・ほんとに枚挙にいとまないので、その内、きもちゃんぬにまとめて本にでもしてもらおう。

何の話だっけ、そうそう皐月賞。その夜、一通り検討を終えて一息ついた時に、きもちゃんぬが「おい、これ見てみろよ。」といって競馬新聞を俺によこした。競馬新聞には、1頭の馬について、騎手や馬主、助手等のレースに向けての抱負や気構えが、立場により様々なニュアンスを含んだ短いコメントとして載せられてるのが通例である。それはそれで実に味わいぶかいものなのであるが、きもちゃんぬがよこした競馬新聞の、大外枠サニーブライアンの欄のそれは、予想欄の印同様、実に素気ないものだった。
「○×助手…『逃げます』 大西騎手…『逃げます』」全部これだけ。
俺たちはぎゃははと笑い、その潔さには感服した。

で、ほんとに逃げちゃった。逃げ切っちゃった。

もちろん大穴、万馬券である。口あんぐり、であった。
ちなみにサニーブライアンは、その年のダービーもやはり大方の「さすがにダービーは無理だろう。」という予想に反して逃げ切って勝ってしまい、またもや大穴をあけ、そしてその年の内にどこかを故障してあっさり引退してしまった。まったく去り際まであっぱれな逃げっぷり。

たぶんこう言った特別な事しか思い出せないくらい、皐月賞は穴のあきにくい、「堅い」レースなのだろう。今年は14番ディープインパクト、という馬が大本命である。偶然テレビで過去にレースを見たが、最後の直線のぶっこ抜きっぷりたるや、速い速い。おまけに鞍上はご存知名手「武豊」だ。単勝(「この馬が1着、と思う!」的馬券)オッズも1・5倍くらいらしい。乏しい経験ながらも、単勝オッズが2倍を切った馬が負けるのを見た記憶がない(もちろん競馬に絶対はないし、実際そんなこともあるんだろうけど)。ただ、二歳時のグラスワンダーを見た時のような衝撃とは少しちがったなぁ。なんでだろう。ま、とにかく勝つのはこの馬、ということで。

馬連 3−18 14−18 13−18 おさえで3−14
え?14が軸じゃないって?
だから言ってるじゃない「買わない馬券」だってば。
(2005.04.17)

暮らしぶりが出る
比較的のんびり暮らしている。今週から始まるはずだったアンの新学期のしょっぱなの授業を休講にしたからだ。それというのも、今年度は俺は教えにいく日が火曜日に変更になったのだけど、その変更の知らせをアンから聞いたときにはもう12日の火曜日はレッスンとリハで埋まっちゃっていて、どうしようもなかったのである。

で、比較的ひまと言うことは、俺の場合、即貧乏に直結するのであって、「貧乏、金なし。暇、あり。」という、同年代の勤労体制整う諸氏が聞いたら言葉を失うような、あたりまえの状況になる。じゃ、この余暇を使って自己鍛錬に励むか、というと、そうそうカンタンには出来あがっておらず、ネット麻雀に夢中になってみたのだが、神からの警告を受け取るにいたった。リーチをかけた後、おかしな字ハイを掴み、それが対面の単騎にぶちあたるところからその警告の兆しははじまり、渾身の清一リーチはリーのみに蹴られ(しかも二回も)、ドラトイツの手は確実に仕上がらず、対子手を狙うべきところで、第一〜三打に切った牌が確実にカブり(これを「キルクールの法則」という)、河に暗刻を(河だから暗刻とは言わんか。)3種並べ、トップ目でオーラスを迎えれば捲られ、あげくのはてには東一局の南家の際に、親の小四喜にぶちこんで地上400メートル程までトんだ。麻雀とは運の要素が強いので、こんなことはままあるはずなのだが、こんだけまとめて駄目がでるとは、これはあきらかに何モノかの意思が働いてるとしか・……納得の仕様がない。俺は早速(こういうときだけ)神様を持ち出し、これは俺に対する警告ナノダ、と思うことにした。で、どうするかって?ふとんに入るのさ!

昨年335でも一緒に演奏した、ボーカリストの深尾多恵子が、今年も四月に帰ってきた。彼女はNY在住で、月〜金オフィスで仕事をし、週に1・2度はギグをこなしている。一年ぶりに会うごとに、どんどんと変化し、成長する。金曜にファニーカンパニーに寄ってくれて、一緒に演奏したのだけど、物凄く楽しかった。彼女は決して声量で勝負するタイプではないのだけど(もちろんしっかりでてるのだが)、声の表情の多彩なこと!そして、確実に僕らの音をきいていて、機敏に反応し、受け入れる。自在な伸び縮み、まさに、ジャズだねぇ。いやはや木曜の羽田くんといい、多恵子ちゃんといい、ケツ蹴られたなぁ。俺はなにやってんだ。小四喜にぶちこんでる場合じゃないのだけは確かだ。
(2005.04.16)

昨日はTTPでした。
久しぶりにTTPでのライブ。TTPはゆきちゃん、カミー、俺の3人な訳ですが、この最大年齢差12歳のバンドは、今更ながら思うのですけど、実に楽しいのです。昨日はKNAVEでだったわけですが、舞台の上での「音の会話」が楽しめるのが実にいいのです。昨日ももう怒られそうなくらい(誰に?)ノープラン丸出しなステージングでして、他のセットではありえへん(あ、「実験君。」があった)感じなのですが、ついついきちきちと音楽をとらえてしまう僕にとっては、とても心地良いゆるゆる感なのです。

それに昨日は対バンも面白く、久しぶりにトップバッターだったこともあって、酒のみたくりの踊りまくりで楽しませてもらえました。久しぶりにネガポジの寺島さんがベースのバンドを聞けたり、ベーシスト羽田北斗君と初めて知り合えたり(物凄いナイスガイでした!)、ベースコネクション的にもとても意味がある、楽しい時間でした。そういやこんなの久しぶりだなぁ。昔はしょっちゅうだった気がするんだけど。

そんなTTP、5月2日に京都西院ウーララにでます。もしよかったら是非見に来てくださいね。
(2005.04.15)

えーと
桜花賞の結果は見事に外れました。
一着17番ラインクラフト 福永騎手

やっぱり同じ適当でも、現場踏んでる適当と、そうでないほんまの適当は違いますな。きもちゃんはふつーにとったんですって。


僕は日曜、特に用事もなかったので家でゆっくりしていたのだけど、昼過ぎに、ボーっとテレビを見てたら、外からタイコやらフエの音が。
お祭なのかなぁ、と思って、コンビニに行きがてら外に出て様子を窺うと、古い着物に烏帽子をかぶった男達・子供達や、赤衣装に赤鬘の天狗のような格好の男達やらがいて、公園ではビールや酒が男衆にふるまわれ、もうこりゃ祭だ感満載。天狗と子供らの一団が路地に入るのを見たので後についていくと、「キュウケイ!」の声だの「オマエラ、モットキアイイレテコエダセ!」等のコメントが飛び交っている。とてもなんの祭なのか聞ける雰囲気でなかったので、帰ろうか、ときびすをかえすと、烏帽子姿のおじーちゃんが刀をひっさげ、ひょこひょこ歩いてくる。勇気を出して「なんのお祭なんですか?」と聞いてみたら、おじーちゃんは問いには答えず、「アー、ヤマイキル、ヤマイキル。」といって、手に持った鞘に収まったままの刀で、僕の両肩をぽんぽんと一回ずつはたいた。

よく判らないが「ありがとうございます。」といって頭を下げた。
(2005.04.10)

雑感・そして新企画!
金〜土の朝にかけて、戸高さん&いどっちと飲む。二人は知る人ぞしる酒豪なので、一緒に飲むといつも最後は僕がKOされた状態になってしまう。今回も最後のバーでどうしても眠気に勝てず、楽しい時間に水を差す結果となってしまい、実に「わろし」(趣にかけ、ダサい様になってしまって情けない)であった。二人、ごめんなさい。僕は実はほんとに酒が弱い。最近すぐ寝る。

昼まで寝ちぎり、RAGアキバ氏と宅間さんと、来る5月18日にある、「帰ってきたAORナイト」(今勝手に命名)の作戦会議。春のうららに昼間のアキバ邸は風通しの良い気持ちよさだった。終わって飯食って家に戻り、NHKで野球をやるというのでしめしめと観戦。お、なんか日記みたいな展開だぞ。で、夜は祗園で仕事。

どうも意識以上に昨日のセットに気を張ったらしく、荷下ろし鬱とは少し違うがなんかいらいらしていた。休憩時、サ店で雑誌等読んでもなにもおもしろくない。多分疲れてるんだろう。

ところで、今日、夕方のニュースで、中国で反日デモがあり、日本料理店に投石があったり、領事館前に人が押しかけたり、と言った状態であったらしい。このニュースで、かなり気分が滅入ったのも事実だ。

最近の竹島問題といい、韓国・中国の反日感情の高ぶり(もちろんこれらも僕はマスメディアの供給するニュースでしか知ってはいないんだけども)には、ほんとに途方に暮れて、暗澹たる気分になる。考え出すとキリがなくなってしまうし、安易な結論をもとに軽薄に触れたくはないので、なんともコメント仕様がないのだが、誰かに「お前、嫌い。」と真正面に言われるのは、そりゃ、いやでしょ。あ、俺、今、軽薄にふれた。ただ、物事には色々な側面があり、様々なバックグラウンドがある。そこを鑑みて考えないと、お馬鹿だ。無神経だ。デリカシー無しだ。下品だ。

一方で、この躊躇が、マイナスに働く事だってある。


いかん。くさくさしてきた。



さて、気分を変えて!
今年はこんな企画をこの「たまに記」にご用意しました!

はっせーの
「競馬G1レーす予想!〜でも僕買わないんですけど!編〜」

なにを隠そう長谷川は競馬はど素人である。ただ、廻りに競馬達人の友人がいた。おりしも巷はナリタブライアンの出現に代表される何度目かの競馬ブーム。おかげで僕はのこのこ友人の後ろについて競馬場やWINS(JRAの場外馬券売り場)へ出向き、意味もわからずにない頭をひねってでもそこは博打であるのでアツくなった上で散財し、そこだけはいっぱしに、しょぼくれて京阪電車に乗る、という経験だけはしたのだ。で、友人が京都を離れ、それとほぼ時を同じくして、土日に仕事がある程度くる様になって、もちろん貧乏なのも手伝い、自然と競馬自体から離れていっていたのである。

それなのに何故いまこんな企画をぶち上げたか。
競馬人気自体が微妙になってきているこのご時世に

思いついたから、である。意味は特にない。

副題にもあげたが、予想したところで、だいたい、日曜に仕事があったり、日曜が休みでも土曜の深夜に仕事があって次の日、なんてことになると、起きてWINSに馬券買いになんていけないのである。ネットで買うほど熱心でもないので権利ももってないし、腹立たしいことに、京都のWINSは枠連・馬連ともに1000円からしか買えんのである。1点買いならまだしも、1レース通常5点くらいは買い目があるのだから、負けつづけると3レースで破産してしまうような貧乏人の僕にとっては、行ってアツくなってしまうことはあまりにリスキーなのだ。根性なしめ。

明日は桜花賞、3歳牝馬のレースだ。人間に例えると「中学生〜高校生くらいの女の子ただし闘争本能中心であんまり理性なし」のかけっこである。わかるわけがない。事実、穴馬券がでることも多いと聞く。そういえば僕が競馬に興味を持ったのは、その年の桜花賞で友人の一人が万馬券をとったという話を聞いたからというのもあった。たしか田原の乗ったワンダーパヒュームが勝った年である。あれ?ファイトガリバーだっけ?きもちゃんに聞けばわかる。

かつて一度、学校の後輩と二人で、当時まだ改装して間もない阪神競馬場に桜花賞を観に行ったことがある。小雨ぱらつくなか、桜がさいていた。一緒に行った子は「ミニスカート」という名の馬の複勝馬券を握り締めていた。4コーナー手前までは良いところにつけている、って感じだったのだけど、結局レースは本命キョウエイマーチが勝った。


で、今年の予想。理由は聞いちゃいけません。あと、買いに行く予定は今(10日朝4時30分現在)のところありませんので、あしからず。

1枠2番ペニーホイッスルから
3・9・13・14・17に流す5点で

さてどうなりますことやら。
(2005.04.09)

”THIS”
ROOM335で戸高さん・長谷川・井戸本くん・清野さん(頭文字をとって”THIS”これはいどっちが打ち上げの席で命名してくれました。あと”HITS”というコンビネーションも可能。)4人の初顔合わせセッション。戸高さんも清野さんも自分の世界を持つ信頼できるミュージシャンなので、気合の下手な空廻りだけはしないでおこうと心掛けたのですが、さて、どうだったのかしら?
何回か、想像していた通りのヴァイブとギターのサウンドが混ざる、おおっという瞬間があったので、うれしかった。あと、やっぱり清野さんの曲は綺麗で、おこがましい言い方だけど、よくできてるなぁ、と演奏中にもかかわらず感心してしまった。戸高さんの曲は今回一曲だけだったのだけど、二人の曲と並べると、僕の曲は底が浅いなぁ。

ともかくも、「エンタ」「実験君。」に続いて、長谷川リーダーとしてこの4人の形を継続させてみたくおもっとるですたい。とここで、自らに自覚をうながすべく宣言してみておいたりなんかしちゃったりして。

いや、もう、次回これは是非観に来ていただかなくては!
(2005.04.08)

野球のこと
30過ぎてから新しく旋毛を発見された、はせがわです。

書き出したらとまらないので思ったことを2・3

中日、好調。しぶとい戦いを見せてくれております。今日の小笠原は残念だったけど!ただ1・2番と福留の打率がまだあがらんなぁ。でもこりゃゼイタクな悩みか。

ソフトバンクも好調です。ほんとにここ数年、セ・パ両方贔屓のチームが勝つのが多くなり、ファン冥利につきるわけです。岡本の不安定さは残念だけど、中継ぎ陣〜ストッパー三瀬が安定してるの、うれしいなぁ。例によって、ほとんど試合見れないんだけど。三瀬が2年目のスランプに陥るかと密かに心配していたんだけど、ひとまず安心。

高校生の頃、プロの新聞読みを目指すほど朝刊を熟読する癖のあった僕は、スポーツ欄のほんとに片隅にしかない南海ホークスの試合結果に、心の中で一喜一憂し、決して名古屋ではプロ野球ニュースでしか見ることができなかった南海ホークスに、思いを馳せていたのでした。

阪神、つよいなぁ。シーツとってよかったねぇ。スペンサーも一回り目はなんとか打ってるし、鳥谷もうってるしなぁ。あと、井川、アホ。

あと、カープの話はきもちゃんぬにまかせるとして、これをお読みの野球好きな方、おそらく同意していただけると思うのですが、横浜の多村選手、良い選手だと思いませんか?もちろん先シーズン40ホーマーを残す実績から考えても当然なんですが、今日テレビを見ていて、かつて好きだった西武〜ダイエーの秋山選手(現ソフトバンク2軍監督)とダブるんですよねぇ〜。パンチ力に華麗な外野守備。個人的に応援したいです。あと、井川、アホ。

井川、本格派左腕として大好きなタイプなのに、何年か前の井川に戻っちゃったみたい。今日の試合とか、阪神ファンじゃなくてよかったと思いました。
まだまだ書き足らないこと(スローハンドのテレビでみたロッテの試合がおもろかったがあのアメ車のファイヤーバードみたいなビジターユニホームはどうかと思う、とか日ハムは前のユニホームの方が好きだ、とか)が一杯あるが、キリがない。

安藤美妃は名古屋出身だそうだ。名古屋はなんでもフィギアスケート王国らしい。そうだったのか。伊藤みどりのせいか。


明日はROOM335にて、清野拓巳さん(Gt)戸高一生さん(ヴィブラホン)井戸本勝裕さん(Perc)との初顔合わせセット。
これはちょっと見物でっせ。19時半過ぎくらいから。チャージは1800円です。
(2005.04.07)

なにごともほどほどが
いいのである。そんなこと大分前からわかっちゃあいるのだけど、
性分です、この極端さ。人生丸ごと、できません、微妙な加減。

決してPCの具合がおかしくなった、とかそんなものでもなく、
書きたい事も山のようにあるのに、
忙しかったっちゃぁ忙しかったのではありますが、

今日のブルーノートが終わるまでは、ネットに入るのが後ろめたくて後ろめたくて!

「仕事はためず、日記も更新し、日々『コンスタント』に生活する」
そんな人間に、ワタシハナリタイ。何をいまさら。

何人か自分と同じようなタイプの人間を廻りに知っておりますが、心からご同情申し上げまする。

精神的な引きこもり、というのでしょうか、決して家に文字通り「引きこもって」なんかいないんですけど。


ともかくも、

3月21日「実験君。」…スタート時のお客様、4人、という嫌がおうにも初心に返らざるを得ない状況でしたが、3人とも元気一杯。序々にお客さんの数も増え、楽しいライブだったの。

3月22日〜23日アンの生徒たちによる「アンサンブル発表会」@都雅都雅。講師という立場で参加させてもらった。テクニックが上達するということは「伝達のカタチ」(これは音楽・状況、全て込みで、)がスムーズになる、ということなのだけど、その点ではまだコンペイトーのような生徒たちの演奏。でも、あつかったよな。堀尾さんが二日目で生徒達にくださったお褒めの言葉を、自分のことのように嬉しがってしまった。打ち上げで生徒達とはなしているなかで、ガチでこの日記を読んでいる生徒がいた。全然更新できなくてごめんね。(「たまに記」宣言しているのにこの弱気!)

3月25日「クラブ黒猫」この日は真帆ママ誕生日ということで、何故か俺は総合司会をしている。うらめしい俺のこの軽口。真帆ちゃん改めておめでとう。

4月3日大阪ブルーノートでのゴスペル塾(といっていいんかしらん。)のライブ。7グループ、みなさんお疲れ様でした。毎度、耳にほぼ全神経を集中させつつ、余力で譜面とにらめっこしながら甚だ余裕なく演奏しているのですが、それでもたまにふっと目を上げると(ブルーノートではバンドブースは舞台脇に設定されていて、僕は真横を向いて演奏しているので、)皆さんが歌っている横顔があって、ほんとに「良い顔」しております。その時一瞬、あるシアワセな気分になります。(でもすぐ譜面の段やキメを飛ばして、泣きそうになります。)

既に22曲くらいを「たくさん」と思えなくなる身体になってしまいました。でも、立っては、無理。

前日のリハであるクワイアの子が、恐らく初めてバンドとコミュニケーションをとる破目になったんだろうけど、キーボードの村瀬さんに「でははじめにそのイントロを『かけて』下さい。」といわはりました。むらむらは「弾いて」るんで「レコードとかを『かけて』」るんじゃないの。その新鮮な言語感覚にものすごくウけちゃってごめんなさい。自分にとってあたりまえなことが、必ずしも人にとってあたりまえではない、というあまりに自明なことでも、ときどき忘れる、という自戒の念を持ちました。

同じく前日のリハの休憩時、スタジオの下が喫茶店だったので、直美ちゃんと、ギターの安部さんに俺、はそこでアイスコーヒーを頼んだ。まず先に頼んだ俺にアイスコーヒーと一個一個使い捨てタイプのシロップ&ミルクが置かれ、で、後から頼んだ二人の分がいよいよ置かれる。持ってきたウェイトレスの子に安部さんが「あ、なにもいらないです」といったら、その子はコーヒーまで持って帰ろうとした。  それは、要ります。自分にとってあたりまえなことが、必ずしも人にとってあたりまえではない、というあまりに自明なことでも、ときどき忘れる、という自戒の念を持ちました。

本番のトリ(最後の出番)は橿原の「GLOW GROW」というクワイアだったのだけど、そこのMC担当の子のトーンが「関西(というか奈良)版だいたひかる」のようで、その秘められたパンク魂や「未完の大器」と言う言葉を感じさせる内容のMCといい、かなり凄い角度でツボに入ってしまい、じわじわと笑いがこみ上げた。あれであのまま「気分がいいので〜歌を歌います〜それでは”SHAKE THE 〜”」とやられていたら、ささぽんの腹筋はねじ切れ、俺はその場で憤死していたことだろう。あ、ささぽん、誕生日おめでとう。ようこそ三十路の世界へ。

スペイン人は、会話の際に状況を一から説明しようとする傾向があるらしく、前のバイト先のシェフ夫婦(スペイン夫に日本妻)の会話では、旦那が嫁さんに一方的に話しているにも関わらず、「デ、ナンノハナシシテタンダッケ?」という台詞がままに出てくるらしい。僕にもその傾向は強く、というか、そんな男の人、多くないですか?そもそもは誤解されるのが嫌で、言うからにはちゃんと説明しなくちゃで、で、その作業にメンドクサくなって、何も言わなくなる。なので、1.要領を得たコメントを、2.場合によっては粘り強く、できる人を尊敬してます。

推敲というか、「かいつまむ」スキル、上達させたいなぁ。

どしどし、「たまに記」、 たまに、更新するぞ、 っと(弱気な小枝風に)
(2005.04.03)

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