2005年01月の日記

びっくりした。
東京の下北沢に、Stand Colorのサポートで行ってきました。月曜の晩にリハしたその足でハイエースに乗りこみ一路東京へ向かい、火曜ライブをして夜行バスで水曜の朝戻る、という強行軍。行きの道をすべて一人で運転してくれたヤマダくん、ほんとにありがとう。Stand Colorのみなさまお疲れ様でした。ウラキくん次は必ず一緒にやるぜ!

で、ライブとしては個人的に己の弱さと人間のちーささを改めて感じさせてもらう、いい勉強の場となったわけですが(俺はほんとに根性がヤスい!)ちょっとしたサプライズがありました。

ライブが終わってすぐに、長身のオトコマエが舞台に上ってきて、僕にはなしかけてきます。「?」と思いながらよくよくみるとなんと高校の後輩でした!彼もベーシストで、東京でばりばり活動中だそうです。
彼のHP http://taro.mu/nu/index.php?itemid=202

僕は20代のちょっとした経緯もあって、高校時代というのはかなり途絶された、ほろ苦く、でも懐かしい思い出なのですけど、すっかり大人でオトコマエの太郎君と再会できたことは、やっぱりとてもうれしいびっくりでした。
(2005.01.26)

ほっぽりっぱ
「はせがわあきらの事務所」と銘打ってるのにもかかわらず、日記の更新はおろか、掲示板も含め「事務所」にあまり顔を出してないってことは、つまりは仕事してないってことになるのかしら。直行直帰が多かったということにしておいてくださいませ。

まず報告から。TTPの中百舌鳥マッシブでのライブは楽しかったですよ。二回目のライブになるのですが、いい箱に出会えました。しかしこの年になって若さまんまんの人たちと対バンできるというのもTTPの楽しみの一つです。しっかり終電乗り過ごし、Kammyに迷惑かけちゃいました。Kammyごめんね。あ、それと打ち上げしっかり飲んでべろべろでした。関係者の皆さんにも、ごめんなさい。ほんとにあやまってばっかし。

今日は僕のプチライフワーク「実験君。」です。皆さんおまちしてるわよ!高野さん何歌うんだろ。

来週は盛りだくさん。週アタマはキュートなボーカルにおっしゃれーなサウンドStand Colorとして東京行ってきます。金曜のTHE BLUE FILMS主催の「クラブ黒猫」も楽しみです。キーボード大村篤史氏とドラム三夜陽一郎くんのセットになって初めてのライブです。日曜は「二人のビッグ・ショー」!ドラムのしのみ君には風邪を引かないように厳命しておきました。そして再来週になりますが月末の月曜もRAGでWAMPです。新曲あります。なんか演出も考えているみたい。

そして、いよいよ「第6回長谷川晃エンタテイメント」の全貌がすこしずつ明らかになってきました。絶対楽しくて、あったかいステージにしてみせまする。おっと武者震いブルブル。

しかし寒いですな!俺が風邪ひかんようにせにゃ。
(2005.01.23)

10年
日付は変わってしまったのだけど、17日は関西大震災から10年にあたる日だった。幸いにも僕は知人を亡くす事はなかったが、それでも多くの友人が被災し、実際出たことのある新開地のライブハウスがぶっつぶれた。

当日の朝、虫の知らせではないが地震の直前に目が覚めた。
「?」と思ってテレビをつけようと思ったらグラっと。

京都も結構揺れたのである。壁にたてかけていたものがばたばた落ちた。

テレビをつけてえらいことが起きたことに気づき、すぐに当時仲の良かった芦屋の女の子に電話したら、「家中のガラスが全部破れ、BMWに駐車場の屋根がぶち落ちたが、家族はみな取り合えず無事だ」とのこと。しばらくして名古屋から京都にですらかけられなくなるほど電話回線はパンクしてしまうのだが、直後はまだ電話が通じたのである。

あの衝撃的な阪神高速の画像を見つつ、朝、学校へ向かうと(その当時僕は非常に不真面目な学生の極みで、朝1時間目などほとんど出席したことなどなかったのだけど)、大阪神戸方面の学生はほとんどおらず、ただなぜか京阪は普通に動いていたらしく枚方とかからの奴らだけはいた。普通に薬理の授業が始まり(白状すると僕はこのとき初めて薬理の教授の顔を見た)、その「普通さ」に無性に腹がたった覚えがある。
何ふつうに授業してんねん!


神戸が罹災してしばらくして、塾講師のバイト仲間で京大の農学部の奴が、神戸大学に救援物資を届けに西宮から歩いた、という話を聞いた。原付が随分重宝した、という話も聞いた。
いまから思えば、僕ももっと何か動いたら良かった。
背を向けたわけではないけど、それ以降神戸に行ったのは、阪急電車が再開通した後だった。

去年神戸マスとEJのゴスペルパーティでSite神戸に行った時,長田の駅前に初めていったのだけど、建物は新しいのだが、やっぱり人が少なくて、ちょっとさみしい。人口が震災前ほどに戻ることはないのかもしれないが、長田の町の発展を願ってやまない。


そういえば土日とセンター試験だったそうだ。
僕の知る現役生の諸君よ!少々悪くたって落ちこんじゃだめだよ!
2次で充分挽回できるからね!勝負はこれから。まだまだ伸びるよん。
緊張感を切らさずに駆け抜けてくれい。

かく言う僕は1年浪人しているので最後の共通一次と最初のセンター試験を経験したのだけど、とにかく初年はもう、お話にならなかった。ココロ構えもなってないし、勉強してない不安ばかり先に立って、気合ものっておらず、酷かった覚えしかない。
やっぱりそれなりに準備したものにしかそれなりの結果は与えられないのは事実だ、ということだけ学んだのである。

そんな受験から、もう15年近く経っているわけで、
いや、なんともはや


ここ2週間はライブよりもリハや準備に追われることで過ぎていったのだけど、いよいよライブが入りつつ、準備の進行度も〆切切迫となってくる。やれやれなんか忙しい感じだじょー。
(2005.01.18)

飲みながら仕事をしてはいけない。
一応演奏前は酒を飲むことを控えておこう、と心掛けているのだが、
今回はまた、別の話。

調子がいいので向かいのコンビニでかったジャックダニエルズをソーダで割ったのを飲みながら譜面書いていて、ふとテレビを見たら「タモリ倶楽部」がバスのロケ。揺れる車中の画面を見てたら、気分が悪くなった。



で、ここからは寝て、起きた後の追記なのだけど、どうも家酒にしては物凄く飲んでしまったらしく、4時前に寝たのに6時半には目が開いて、こりゃいかんと寝なおしても結局8時すぎには起きて、仕事のつづきをしたのである。今真昼間なのだが、正直眠くなってきた。やばい。
(2005.01.13)

ストレス解消
ぬはっとストレスを解消した。

まず、むかしの教え子で今大工をやってる子に頼んで、「かつて冷蔵庫だったもの」ニ個(!)を部屋から追い出した。ついでに部屋の隅でひんやりと自分の用なしライフを謳歌していたダンボールどもも引き取ってもらった。

そして原付のマフラーを交換してもらった。すごい。効果絶大である。きちんと「バイクの音」がする。

さてこれらすべては「第6回長谷川エンタテイメント」へ向けての準備なのである。僕はバカなので、例の「試験勉強しようと思ったら部屋の掃除に夢中になっちゃってぜんぜんはかどらな〜い」的中学生思考に起因するもので、いつもここからなのだ。正月前からずうっと「何するぅ、どうするぅ、どこからてをつけるぅ」という思考の呪いにかかり、まったく進行せずにこたつ虫と化して関係者皆様にご心配をかけております、が、これらストレスの解消により(あまつさえ部屋の掃除までしてしまった)、作業のはかどること津波のごとし(不謹慎)なはずなので、皆様、楽しみにしてもらってよいでござるよ〜(とハードルを上げてみる)
(2005.01.11)

変えられない。その他
ビデオやDVDを観ている時にトイレに行きたくなって、一時停止していきゃいいのに、ボリュームを上げて流しっぱなしのままトイレにいきます。


原付の調子がよくありません。忙しい最中だった12月20日からです。前のバイクと全く同じ感じのマフラー詰まり。最高速が30キロ強しかでないので、右折とかがものすごくこわいです。バイク屋さんの話では、エンジンオイルも一緒に燃焼させて走るスクーターは良いオイルをつかわないとだめなのと、やっぱりある程度距離走ると原付はしゃーないそうです。しかし中古とは言え乗って半年、前と全く同じ症状、俺の乗り方になんか問題あるのかも。
(2005.01.06)

名古屋に帰ってみた。
正月ということもあり、久しく帰ってなかった名古屋の実家に、2泊3日で帰ってきました。

<道路がどんどんできてる>
もう、わけわかりません。高校への通学路の途中にズドーンと片側3車線の道が走っており、その下は高速があるんだそうな。街の景色が変わっております。僕は名古屋で車を運転したことはないのですけど、これはこんがらがります。

<地下鉄が増えてる、繋がってる>
いつのまにか、名城線という地下鉄が環状線になってて、中学の頃ケッタマシーン(自転車のことです)で走りたくったあたりや、親父の勤務先とかの地下も、しっかり地下鉄が走るようになりました。ナゴヤドームにも家から地下鉄乗り継いでいけます。で、新しい駅やその周辺、がとてもきれいでした。

<自転車>
予備校時代まで愛乗していたケッタマシーン(しつこい)をひっぱりだしました。サドルがちっこくて、固くて、高くて、ケツが痛くなり、筋肉痛になりました。

<それって>
名古屋だけがどうも日本の中で特別景気が良いようですが、これは今年ある万博景気によるものみたいです。そのマスコットキャラクターがいる(モリゾーとキッコロという名らしいhttp://www.expo2005.or.jp/jp/)のですが、どうも「ちちんぷいぷい」のキャラクターにみえてしかたがありません。

<名前が>
新聞のテレビ欄を何気なくみてたら、テレビの11チャンネル、「名古屋テレビ」(テレビ朝日系列、関西でいったらABC)の名称が

「メ〜テレ」

に変わってました。
                 センスが判らん。



もう京都にやってきて15年近くになります。京都に来たての頃は、ごちゃごちゃした町だなぁ、と思ったものですが、逆に今は、名古屋に帰ると、その街の空間の多さに少したじろぎます。

京都に住んでいると、休日に仕事でNeyoちゃんの車とかに乗っけてもらって大阪に向かう時など、休日に京都観光を楽しむ一般の人の流れと逆なので楽やなぁ、と思うことがしばしばなのですけど、今回実家帰る段でも、名古屋⇔京都が、東京を中心にした人の流れと逆なので楽でした。

そういえば、僕の実家のまえの道は緩やかにカーヴしてるんですけど、小さい頃はそれをまっすぐだと信じて疑いませんでした。
小さい頃は家の向かいにはタクシー会社があったのですけど、そこは名古屋の緑化なんとか政策の指定地域で、ここ数年でしっかりだだっ広い公園になっています。
家の近くにあったコンビニが2軒ともなくなっていて、ちょっとさみしい感じになっておりました。
(2005.01.04)

明けましておめでとうございます。
実を言うと、30日の晩に人様の家で焼肉と一緒に大量の泡盛を頂いた後に、スローハンドの年忘れライブパーティに行き、何時まで飲んだのかよくは覚えていないんだけど(ドラムのモリヒコ君が「7時なんで僕帰ります。」と言ったのだけ覚えてるんだが)ともかく、31日をすこぶる胸焼けな、液キャベ常用者ライクに迎えた関係で、超アタマいて−感満載の年越しとなったのである。(なんという駄文なのだ!)

JK BIRDでTTPでのカウントダウン後の演奏は思いの他楽しく(タイチ君感謝!)、汗をかいたおかげで少し気分もましになり、そのまま京都に戻って初詣としゃれこもうと四条大宮についたら、なんと物凄い雪。あっという間に気分がふにゃふにゃに萎えたので、タクシーでそのまま家に帰って、テレビづけの年越しの夜、となったのである。
「大川興業」所属のバカが売りの若手漫才師のネタ
「10回いうゲームしよっか」「じゃ『イラク』 に10回いって。」
が結構うけた。あと笑い飯がM1の時より圧倒的におもしろかった。

スローハンドのライブパーティでココロからほんとに嬉しい小さな出会いがあり、これが今年発展することがあったら僕のキャリアにとってとても光栄なことになりそう。期待せずにまっとこ。

なにはともあれ、今年もよろしく。
皆さんにすこしでも良い音楽が届けられます様に。
(2005.01.01)

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